すずらんブログ
2021年 01月 07日

ここは、中野木1丁目、主要地方道船橋我孫子線 通称船取線の脇にある歩道です。

この付近に住む方から、ベビーカーや高齢者の方が手押し車でよく通るが、段差があり、つまづく姿を見かけるので、段差を解消して欲しいと要望がありました。

また、ご自身も、ハイヒールで急いでいた時につまづいて転んでしまったことがあると言っていました。

確認をしたところ、船取線の拡幅用に県が管理をしている所で、アスファルトの部分が正式な歩道となっているようです。

船取線は交通量が多く、花輪方面に向かう道路には歩道がありません。

この道を多くの方が、利用しています。また、中には、東船橋駅方面に向かう方もいます。

管理は、葛南土木事務所なので、仲村県会議員を通じて、段差解消をしてもらいました。

 

 

2020年 12月 15日

船橋市民ギャラリーで開催中の「椿貞雄と清川コレクション」を見に行ってきました。

椿貞雄は大正末から昭和にかけて船橋で暮らし活躍されていました。

大正15年、30歳の時に、船橋尋常小学校(現・船橋小学校)で、図画教員として働いていました。

自画像です。このような方だっだのですね。

お孫さん達の似顔絵です。

オープニングに来られた方もいたようです。

夏見の高台から船橋大神宮の灯明台をを臨んだ風景だそうです。

昭和20年3月の東京大空襲での被害を聞き、群馬県に疎開した時の絵ですが、碓氷川・淺間遠望・磯部・妙義山とあり、群馬県のお隣長野県軽井沢で育った私は、とても懐かしく感じました。

この時代に生きていたわけではありませんが、浅間山の麓で育ちましたので、碓氷峠や磯部・妙義山は、よく知る場所です。見入ってしまいました。

ここからは、清川家のコレクションです。

清川家は、初代の清川務が明治20年、船橋に病院を開業してから三代にわたり医業を営み、地域に貢献されてきました。

清川家三代にわたり収集・保存されてきた184点の美術品は平成11年から12年にかけて、船橋市に寄贈されました。

見応えたっぷりの作品が展示されています。

12月23日(水)まで開催されていますので、ぜひ、足を運んでみませんか!

時間は、午前10時から午後5時(金曜日は午後7時まで)

入場は無料です。

船橋市民ギャラリーは、本町2-1-1 スクエア21ビル3階です。

 

 

2020年 12月 07日

体育館の高窓の開け閉めには、手すりもなく、頑丈なはしごを使って、窓の開け閉めを行っていました。

会派の木村修議員が、平成30年第3回定例会で「学校の体育館の安全対策」として、取り上げました。

小学校では、必ず教員が行い、中学校では、基本教員ですが、生徒が行う場合もあります。この場合は必ず教員が立ち会うことになってはいますが、常に危険が伴います。

この危険を回避するための方策を取るべきと提案しました。

船橋市の学校の体育館は、昭和40年から50年代前半にかけて建設されたものが多く、窓等の開閉のためのスペースに手すりがない構造となっています。

小学校は55校中43校、中学校は27校中22校、合計82校中65校は手すりが付いていません。

今年度、全ての学校に設置されたことを伺い、法典小学校におじゃまし、見学させていただきました。

法典小学校には、以前、御滝中学校でPTAの副会長をしていた時にお世話になった校長先生が、その後、法典小学校の校長先生になったので、校長室に行けば、写真があるかなと思い、行かせていただきました。(校長室に写真があり、懐かしく感じました)

かなり重たい頑丈なはしごから、移動が楽になった軽いはしごに取り替え、はしごを掛ける所も数か所設置されました。

手前の白いものが今回設置された手すりです。

いのち綱もあります。

もともと設置されている窓際の手すりにフックを掛けて、窓等の開閉を行います。

この場所は、幅70㎝位とのことです。

事故が起こってからでは遅すぎます。危険だという認識で、手すりのない学校全てに設置されたことは、良かったと思います。

コロナ禍で、常に窓を開けているそうですが、安心して窓の開け閉めができます。

体育館では、子ども達の元気な声が、響き渡っていました。

 

2020年 11月 20日

船橋市は、1989年にアンデルセンの生誕の地、オーデンセ市と姉妹都市の提携を行っています。

1984年(昭和59年)11月に、オーデンセ市長一行が、自治体のコンピューター高度利用の視察で、船橋市を訪れたのが、船橋市とオーデンセ市との出会いです。

オーデンセ市は、有名な童話作家アンデルセンの生まれたまちです。

1805年4月2日に生まれたアンデルセンは、2005年に生誕200周年を迎え、生誕を祝うイベントが、デンマークだけでなく、世界中で行われました。

ふなばしアンデルセン公園は、オーデンセ市の協力を得て、1996年(平成8年)に開園しました。

1987年(昭和62年)から市民に親しまれていたワンパク王国と、隣接していたメルヘンの丘ゾーン及びこども美術館ゾーンが新たに整備され、1996年10月に、アンデルセン公園となりました。

テレビのロケも行われています。

 

2019年に中国西安市と友好都市提携25周年記念の様子です。

 

2018年にアンデルセンスタジオ「しっかり者のすずの兵隊」がオープンした時の様子です。

 

2016年にカリフォルニア州ヘイワード市と姉妹都市提携30周年の時の様子です。

建物は、デンマークの1800年代の建物を再現したコミュニティーセンターです。

 

2014年オーデンセ市姉妹都市提携25周年記念式典の様子です。

懐かしい写真と共に、振り返ってみました。

アンデルセンの名前は「ハンス・クリスチャン・アンデルセン」と言います。

1805年にオーデンセ市の貧しい靴屋に生まれ、14歳の時、役者になろうと、デンマークの都、コペンハーゲンに行きました。

23歳で大学の入学試験に合格。作家としての道を進み始めました。

その後、ヨーロッパ各地を旅行。

40歳で「みにくいあひるのこ」「マッチ売りの少女」「おやゆび姫」「はだかの王様」などを書きました。

1875年8月4日 70歳 コペンハーゲンで死去しました。

2020年 11月 13日

11月12日(木)船橋市私立幼稚園連合会から、「令和3年度の私立幼稚園関係予算についての要望書」が松戸徹市長に手渡されました。

私も、私立幼稚園教育振興議員連盟の一員として参加しました。

子ども・子育て支援新制度がスタートしてから、早いもので6年目を迎えました。

今までは、幼稚園と保育園の違いがはっきりしていましたが、「働きながらでも通わせられる幼稚園」を目指して、預かり保育をしている幼稚園が増えてきました。

保育園の待機児童問題が改善されない中、幼稚園でも安心して対応ができるようになったことを、いかに子育て世帯に知ってもらうかが課題です。

働くには保育園でなければならないと言ったイメージが強い気がしますが、幼稚園の側も、長時間・長期休業中の預かり・満3歳児の受け入れなどの支援を行う幼稚園もありますので、働きたい保護者の方に、選択肢が増えていることを知って欲しいと思います。