8月6日(火)7日(水)に、FURE相双地域支援サテライトの職員の方の案内で、富岡町・ふたばいんふぉ・福島第二原子力発電所・双葉町・浪江町・大熊町・廃炉資料館を視察しました。
6日(火)
帰還困難区域と避難解除区域が入り混じる富岡町では、このような看板があちらこちらに見受けられました。
帰還困難区域では、解体の手が届かず、空き家が当時のままです。
案内をして下さった方の家では、新築2年で災害に遭われ、日本庭園もありましたが、今では、庭園の跡形もなく草木が生え放題でした。
また、猪が繁殖しているため、仕掛けが置かれています。
帰還困難区域のため、ハンターも入ることができず、埋めたり、焼却ができず、国の予算で、バイオ菌を使い、繁殖を抑えています。
10年後に、解除される見通しですが、田畑があっても、作物や販路が心配で、自然減退していくのは目に見えています。
生まれ育った方は、戻りたい思いが強く、特に高齢者の方は、家には戻れないことを受け入れるまでに、時間を要しているそうです。
思い出の品を、少しずつ処分しているという話を聞き、私たちが思うほど、簡単な事ではないと、改めて感じました。
自宅の解体は、国に申請した方は、国が行いますが、アナウンスされた時に、病院や避難されていた方の中には、締め切りまでに申し込めなかった家もあるそうです。申し込みができなかった家は、解体できずにそのまま空き家になる可能性が高いとのことで、新たな問題が発生しそうです。
また、新たに建て直すには、自費のため、ローンが残っている人にとっては、新たなローンが発生し、新築するにも大変なご苦労があります。
「ふたばいんふぉ」は、双葉8町村の現状を共有し、広く伝えるために、民間団体の双葉郡未来会議が運営者となって開設されました。
代表の方から、震災当時の状況やその後の双葉郡の状況を、映像と共にお話を伺いました。
垂れ幕は、代表の方が、作成し、道路に掲げた所、これを見た多くの方が、勇気をもらい頑張ってきたそうです。
国道6号線から夜の森公園に通じる道には、樹齢100年のソメイヨシノが並ぶ見事な桜並木があります。
桜の開花を調べる開花基準木です。
午後からは、福島第二原子力発電所へ行き、震災から現在までの発電所の状況を伺い、構内を視察しました。
2019年7月31日に、福島第二原子力発電所の廃炉に向けた基本方針が示されました。
①人的リソースの確保・・・全4基を40年かける
②安全な廃炉・・・使用済み核燃料(約1万本)全て県外に搬出する
③地域の産業振興に向け貢献・・・地元企業が参画できる機会を設ける
40年かけて廃炉になりますが、最終処分地はまだ決まっていません。国が責任を持って決めて欲しいです。
7日(水)
楢葉町は車窓からの視察です。
信号機はほとんど使われていません。
楢葉町は、震災前は約6,900人で約54%の方が住んでいますが、その内の約400名は、支援のために他から移住をしてきた方だそうです。
帰って来た方の多くは高齢者で、子どものいる世帯はほとんど帰って来ていないとの事。
小中学生は109人。子ども園は85人。
富岡や浪江では、16人全てが、支援者の子どもで、住民は0人。
小中学校はあるものの、生徒が少ないため、今後外部からの人をどう呼び込むのかが、課題となっています。
楢葉町では、原発立地のため、国からの助成金が入り、箱物が多くあるものの、運営費や維持管理費が高く、人口が増えないと維持が厳しい状況です。
今後の大きな課題の一つです。
浪江町では、被災された請戸小学校へ行きました。
請戸小学校は、海から300m離れているため、津波の防災訓練は行っていなかったようです。
当日は2階の天井まで波がやってきました。
2㎞離れた高台に逃げたそうです。
その高台に、避難勧告が解除されて直ぐに、町営の大平山霊園を作りました。
ここでも、猪でした。
草の所には、猪のフンがあるため、出来るだけ歩かないように注意がありました。
大山霊園から請戸港に行く道路ですが、断層のずれで、中央線がこんなにもずれてしまいました。
請戸港では、9月にオープン予定に向けて工事が進められていました。
現在は10~15隻の船で、水揚げされた魚を、トラックで、相馬漁港に届けられています。
仲買人も1社決まったそうです。
浪江・富岡では、10港全て再開されています。
試験的にサンプリングを行い、200種が解除されました。
国では100ベクレルを基準としていますが、漁港ではさらに厳しい50ベクレルにし、安全に力を入れています。
漁師の方は、小型船で日帰り漁ができ、国から8割の補償がありますが、1次2次産業の仲買人や加工品を扱っている方には補償がないとの事でした。
一日も早い再開が求められています。
新しくなった大熊町役場に行きました。
大熊町では、農地を公営住宅にし、新しいまちが出来てきていました。
最後に、東京電力の施設・中間貯蔵工事情報センターを視察しました。
福島第一原子力発電所の事故当時の状況や廃炉に関する事を学びました。
汚染水は国基準の安全値よりもさらに安心な高い数値を示していますが、最終処分をどうするのか、30年以内に決めると言っていますが、課題はまだまだ沢山あります。
実際に足を運び、被災地を目の当たりにし、復興に尽力されている方の話を伺い、何ができるのか考えさせられました。
それぞれの立場で、多くの方が頑張っています。被災された地は元通りにはなりません。
新たなまちに生まれ変わります。複雑な気持ちの方も多いと思いますが、一日も早い復興を祈ります。